STORY

of

Shogo Manna




ハイサ〜イ!これを読んでいただいている皆さん、自分の地元、今生きている場所を愛していますか?私はここ沖縄をとても愛しています。豊かな自然が育む美しいヒト・モノ・コト。それらが織りなす歴史・文化を学び知ることで、私の生きる糧となっております。皆さんも、皆さんの住む土地それぞれに、その様な豊かさが必ずあると思います。それらを学び、伝え合うことで、必ず明るい未来があると信じております。生まれ島の言葉と食を忘れてしまうと、私たちのアイデンティティを失ってしまいます。だからこそ「食卓」が重要なのです。皆さん離れているけれど、情報共有し、それぞれの地を、より愛していきましょう。またマジュン、語らな!(また一緒に語り合いましょう!)

やんばる(沖縄島北部の山や森林が多く残る地域)で生まれ育った料理人の満名匠吾さん。やんばる島豚の魅力を伝える豚料理専門店や、生産者の想いを伝える「やんばる畑人プロジェクト」、琉球文化を繫ぐ「帆かけサバニ」のプロジェクトなど多彩な活動を通して、そしてスローフードと出会ったことで、満名さんに見えてきたものとは?


PROFILE


名前 : 満名 匠吾
コミュニティ/国 :  沖縄県本部町出身、名護市育ち / 日本
現在の居住地 :   今帰仁村
年齢:  46歳(1975年生まれ)
取り組みや所属:  料理人     「満味」オーナー

沖縄/琉球とは


琉球諸島には約32,000年前から人類が居住しており、1429年に琉球王国が成立し、約450年にわたって存在していました。1872年から1879年に行われた”琉球処分”により、琉球王国は日本による統治を受け、第二次世界大戦中の1945年には第二次世界大戦の戦地として大規模な被害を受けました。1972年に”本土”復帰を迎えた沖縄は、日本による同一化政策の激化による若者の都市部への流出、アメリカ文化の強い影響による生活習慣病の増加、国策としてのリゾート開発による自然破壊など多くの問題を、今なお抱えています。




やんばるの山と海に育まれる生態系〜豚文化を伝える

 

沖縄県の北、自然豊かなやんばる※1。山々では様々な生態系が育まれ、インナーリーフは海の環境を育み、台風からは自然の防波堤にもなりうるなど、奥の集落を守るために大切な存在でもあります。最近、世界自然遺産にも認定されましたが、喜ばしい反面、人流の流れが激しくなり自然環境への破壊も気になっています。



私自身がライフスタイルの中心として大切にしているものは、沖縄の豚文化と、サバニ(帆で走ることができる伝統的な船)です。「アグー」とは、もともとはリュウキュウイノシシを家畜化したものに、十四、五世紀から中国や台湾との交易を通して渡ってきた豚が徐々にかけ合わせされたものと言われていて、土地の気候風土にうまく合致して琉球の人々の生活と深く関わり、利用されてきました。

アグーは、戦後は収益性の高い外来種の飼育におされて、戦前に10万頭いたものが、戦後一時30頭近くまで減少して絶滅寸前に。それは、各家庭で飼う、身近な存在だった豚を、暮らしから切り離して産業化を進めた日本政府の政策大きな影響がありました。そこで、1981年、やんばるの大先輩たちが中心となって地域の協力を得ながら、戻し交配法※2によって選別を進めるなどして、絶滅の危機を免れることができました。

昨今のアグー豚は、商標登録をとったアグーブランドで大量生産できるようにしているものが大半ですが、20%くらいしか在来種の血がはいっておらず、現在では「今帰仁アグー」だけが本来のアグーの血筋であると言えます。


※1 やんばる

沖縄島北部の山や森林が多く残る地域で、中生代以前に形成された岩石を基盤とする山々が連なり、中南部に比べて高い山や渓谷、河川が発達し、豊かなイタジイの森林に覆われている。琉球石灰岩を基盤としている中南部と比べると、北部で見られる地形、動植物などの自然的な特徴はかなり異なる。14〜15世紀の三山時代に統治していた北山にあたる地域で、独自の歴史、伝統、生活文化が育まれてきた。空港がある那覇空港から車で約1時間。2021年、世界自然遺産に登録された。


※2 戻し交配プロジェクト

戦後焼け野原になった沖縄で豚が食べられなくなった当時、ハワイに移り住んだ琉球民から沖縄に350頭の白豚が送られるなどして、西洋品種が導入され、在来豚は消滅の危機に立たされた。一時は絶滅したと考えられていたアグーだが、1981年ごろから、名護博物館初代館長の島袋正敏さんが調査を行い、18頭の在来豚を見つけ出し、雑種化を取り除くための戻し交配の取り組みが行われ、戦前に近い形質を備えたアグーが復元した。



足跡以外は全て食べられる〜食文化としての豚

本来の歴史にもとづいたアグーを継承し、食文化を発信するために「満味」という飲食店をオープンしました。沖縄には、家庭で育てた豚を屠畜(とちく)し、丸ごとむだにせず食べてきた独特の文化があります。皮や脂身、骨、血に顔の皮、内臓までもを、お肉としていただきます(鳴き声さえ活用していました!)。



志を共にする仲間とともに、(やんばる島)豚※3 本来の味を入り口にして、その背景にあるやんばるの自然と人のつながり、文化の豊かさを伝えること。消費者に「いかにシンプルに伝えていくか」が重要であると考えています。豚を丸ごと、味わい尽くすこと、やんばるの豚を、やんばるで食べてもらうこと、野菜や調味料にもやんばる産を使うこと...最高の味わい方、豚にまつわる物語を伝え紡ぐこと。「もっと美味しくする方法はないか?」という探究心が尽きることはありません。

お店では、可能な限りお席に随伴し、部位に合わせたおいしい焼き方を伝授。満味では、いつも豚にまつわる、おいしくて楽しいおはなしが語られています。


※3 やんばる島豚

イギリス原産の黒豚 バークシャー種の雄と、イベリコ豚の母親でもあるアメリカ原産のデュロック種のメスを交配して生まれるメスを、琉球王朝時代から沖縄にいる純血の在来種の「アグー」と交配して生まれるのが「やんばる島豚」。


サバニ普及への挑戦


18〜22歳の頃、仕事のために県外へ出ていたのですが、沖縄に帰る度、島の姿の変化に衝撃を受けていました。護岸工事やホテルの建設ラッシュによって、渚が人口ビーチに姿を変えて自然海岸が一気に減ってきました。観光開発、利便性だけを重視した農地開発は、生物の多様性にも大きな悪影響を与え、現在でも頭を悩ませる問題のひとつです。

今でも思い出すのは、幼少期のおじぃとの原体験、見ていた風景。陸地と人々の暮らしと海がつながっていた文化のあり方、生きている珊瑚をそのまま残していきたいという思いがあります。

31歳のとき、はじめて「サバニ」という船に乗る機会がありました。お店を繁盛させるために翻弄されていた当時、毎日那覇まで往復していた車窓から、名護湾に浮かぶサバニをみて「なぜウチナーンチュの自分があそこにいないのか」と悶々としていたときのことでした。



そこで思い切って1ヶ月店を休み、サバニで与那国から島々を繋いでいく旅にでました。島の方々の豊かさ、全面的なおもてなしを感じることによって「観光地とはローカルの温かさを表現することだ」と感じるようになりました。食に携わるものとして、人間が中心ではなく、土地や空気感を大切にしたい。「たのしくおいしく」を合言葉に巻き込んで、生産者の苦労や現状も「体験を通して」伝えたい、やんばるのなかにあふれる多様性に触れながら、表現していきたいと思うようになりました。


※4 サバニ

琉球で昔から漁業、運搬という利用を通して島々を結んできた舟で、古くは一本を刳って造った「くり舟」、明治以降は県外から大きな杉の材を移入して、厚い板をつぎ合わせてつくる「はぎ舟」が使用されてきた。釘は1本も使わずにくんでいく製法で、島ごとに、海の地形や用途に合わせて進化し、琉球・沖縄の歴史と切り離せないものである。

やんばる畑人プロジェクトと

「やんばる野外手帖」の取り組み


2011年からは、やんばるエリアの農家・加工業者・飲食店がタッグを組んで、やんばるのおいしさや楽しさを発信する「やんばる畑人プロジェクト」にも取り組んできました。

世界じゅうで沖縄でしかつくれない、私たちの宝物として、ただ「モノ」として販売するだけでなく、「やんばるは美味しい」を伝えるメッセンジャーにするために、やんばるに来ないと手に入らない、地域限定品を開発したり、やんばるの料理が楽しめる香祭を開催するなど、地域性を生かした食のアクションに取り組んでいます。

やんばるスパイスの誕生

地元の料理家の大先輩が繋げてくれたご縁で、胡椒を育てる農家さんと出会い生まれたものがあります。

「やんばるは、おいしい島野菜や豚肉、海産物、塩田もさとうきびもある。これに香辛料が加われば、すべてやんばる産でおもてなしができる」

そんな一言から生まれたのが「やんばるスパイス」。原料の58%が、やんばるで収穫された島ショウガ・島唐辛子・春ウコン・秋ウコンから成っており、100%やんばる産を目指していまも進化を続けています。


フィールドを自然へ〜「やんばる野外手帖」

また、これまでの経験や思いを、そして地域をより深く知ることの喜びを分かち合えるように「やんばる野外手帖」というツアーも企画しています。やんばる畑人(ハルサー)プロジェクトが提案する「おいしい野遊び」として、やんばるを訪れるみなさんをおもてなししています。お客さんといっしょに生産者を訪ね、自然の中で食べることの喜び、自然のすばらしさ、食のありがたさ、作り手の思いを身近に感じ、五感で楽しんでもらうツアープラン。その日かぎりのサービス、メニューを提供していくプログラムです。




Slow Foodとの出会い〜住所不定のハンモック生活へ

スローフードに関わるきっかけは沖縄で2018年に開催された「Slow Food Fest in 琉球」というイベントでしたが、2019年には北海道の先住民テッラ・マードレに参加したことで、スローフードへの理解がさらに深まりました。アイヌの方々との出会い、いろんな問題を抱えている先住民の姿を通して、自分たちのアイデンティティと向き合うことができない社会構造、教育の課題など「琉球のありかた」に立ち返ることになりました。スローフードという伝統食を意識していると見えてくるのは、島らしさ、その知恵。スローフードの活動に関わるほどにピースがはまっていくような、誇りを感じています。


その知識や先輩方から見聞きしながら技術を実践しながら学んでいける場所として、今、やんばるの山の中にある天底という地域に、「アメソコネソコ」(天底根底)という場を作っている最中です。空気の循環、水の循環は、土中にもつながっている。その間に人間がいる。そこをより意識して暮らしていることで豊かになれるのではないかと考えています。いまはゼロ地点。社長でありながら、現在住所不定のハンモック生活がスタートしました。


「昔は良かった」ではなく、

「今日もよかったね」という言葉で伝えたい


「アメソコネソコ」の床が抜けている家は、住む人がいなくなり、壊されてしまおうとしていた家を僕が直感に任せて引き継いだものです。そこには、奥戸さんがあり、仲間からもらった羽釜、友達からもらったピザ窯があり、美しい雨が降り注いでいます。今、失われようとしているものだからこそ、守っていきたいし、なくしてしまったら再現するのは難しいのです。

これまで、同世代、同業者の人にはなかなか伝えることが難しかったこともあります。やんばるの行政や経済界は、「経済発展」を求めて土地や文化を差し出している側面もあり、同時に、外からの「沖縄を売ってあげる」という目線を感じることもあります。


サバニの旅では、時間は必要だけど、お金は必要ではありません。仲間との達成感、船頭へのリスペクト、支え合う、励まし合う、声のかけ方一つからコミュニケーションを学ぶこともできます。「昔はよかったね」ではなく、今あるものを掘り下げていくことで、「今日もよかったね」「きれいな海で遊べたね」という想いを共有していくこと。それらを今のうちに学び、それを求める次の世代、新しい仲間たちと、次につながるための時間を紡いでいきたいと思っています。


満名さんのプライドフード


私のプライドフードは、ズバリ『豚肉文化』です。日本において、肉を食する事が本格的になってきたのは明治以降です。沖縄は台湾や中国との交流の中から豚肉文化を習い独自に発展させてきました。

高温多湿の亜熱帯気候の中で肉を塩蔵発酵させる「スーチカー」、黒糖と泡盛でゆっくりと時間をかけて作る「ラフティ」、新鮮な血液で作る「チーイリチャー」、内臓をクリアなスープに仕立て「中味汁」足跡以外残らないと言われる程色々な部位を食する事ができる多くの豚肉料理があります。ここでは多く書けませんが、戦後、豚に纏わる感動のエピソード『海から豚がやってきた』でも、琉球・沖縄の豚愛が感じられます。私は胸を張って言えます。私のプライドフードは『琉球の豚肉文化』です!その文化を繋いだ琉球の先人に感謝!

満名さんの人生年表


1975 やんばるに生まれる

2004 満味 創業

2006 自分用のサバニを作ってもらう/サバニ旅を始める

2011 やんばる畑人プロジェクトを始める

2016 やんばる野外手帖を始める

2018 Slow Food Fest in 琉球でスローフードと出会う

2019 Indigenous Terra Madre in Ainu Mosir に琉球代表団として参加

現在  アメソコネソコ スタート


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